生きる事と、亡くなる意味

たまには、eしずおかへコピペさせていただきます。

友人のお店 和雅家さん(すべて手作り料理)の店内より撮影
岩本山中腹にあるのですが、南から向かうと看板が見えないので、入口に迷う場合がある為、ご注意ください。
富士君(大野)から聞いたよって言ったら何かしてくれるかも?(笑顔だけかも)
生きる事と、亡くなる意味
富士市の東半分
生きる事と、亡くなる意味
富士市の西半分

写真は、本文とは関係はありませんが、富士の全景が見られる絶景な場所なので紹介させていただきました。

この富士市は、僕の中の情報では、ある事情により10年?以上したら、人口が半減すると聞いております。
下記のような活動で僕たちは、街を盛り上げていこうと地道に活動しております。
(理事長、事務長夫婦は睡眠を削って)

それは、NPOフィルムコミッション富士で、
その好評な撮影秘話を書いたブログです  http://ameblo.jp/fcfuji/ 

エキストラ倍増の2000名を目標にしており、ご協力してくださる方はご登録お願いします。
ブログでなく、フィルムコミッション富士のHPにあるように、
HPの実績に記入してあるように、所謂有名人が、沢山、富士市に来てくれております。

さて、ここから表題の件ですが、
先日、僕の友人のお母様が急性心不全で亡くなられました。
そして本日、お葬式でした。
僕の父と同じで、突然死です。

このお母様とも不思議な縁で、友人の所に天皇誕生日の23日に話しをしに行き、
一度は、その場を違う仕事が入っていたので離れようとした所、
いつもはそんな事を言わないのに、
その日に限って、友人が、お母さんのご飯 (喫茶店を30年経営されている)は、
地産のものなので、おいしいよって、別れ際言われたのもあり、

その仕事を済ませた後、敢えてUターンをして、15時位にカウンターで食事をいただき、
昔の苦労話を、何故か初めての僕に話してくれた後、
もう1人の常連客の方が、珈琲を飲みに、やはりカウンターに座り談笑しました。

そんな中、近所の方が水道管を直しに来てくれていたり、
野菜が取れたよって届けてくれるおじさんがいたり、
数時間、お母様中心に談笑したのでした。

また、そこには、年配ながら富士市の名士と言われる方々が集まる店であり、(まぁ、前から何となく知ってはいたのですが)
10時から12時位に、○○さんが来て、その後には△△さんが見える時間だよって、
いずれ、僕に会わせてくれるような話しをいただいたのでした。

昨今、ランチするのにお洒落なお店や、ファミレスばかりが謳歌する中、
決して、お洒落と言えるお店ではないのですが (ごめんなさい)、
僕にとっては、今後、何度も来たくなるような雰囲気のお店でした。

でも、9日に急死でした。

そして、本日告別式に列席させていただきましたが、
お別れのお母様の友人の挨拶では、どんな方にも分け隔てなく笑顔で接し、
「人と人とを結ぶ」 明るいお母様だったと最期の言葉を掛けておりました。

と、
亡くなってしまい、もう会えなくなり、ただただ残念とだけ思うだけでは、普通かと思いますが、
僕は、それだけでは終わせたくないなと思いました。
それは、次世代に、
こうした生き方を伝える使命感かなと、いつもの如く勝手な僕なりの考えです。
それが、お母様とは、一度しかゆっくり話しをした事が無いにも関わらず感じました。

さて、最近、友人に勧められて読んでいる仏陀の教え (難しい本ではありません) の本の中には、
「人生に意味などない」 と、書かれています。
「生きる事には意味がある」 と考えると、苦しんでしまうというから という考えで、
生きてる最中は、 「与えられた事をこつこつ」 行ない、
それに向かって、 「努力はしましょう」 という教えです。
僕は、それは、「行動力」 という事かな?って思いました。

でも、
僕は、生きる事はそうであっても、
死ぬ事には、意味があると思います。

自分の28年前の父の時もそうでした。

それは、昨年6月20日のブログ 
http://ohno1103.i-ra.jp/e226783.html に書かせていただいたので、
お時間ある方は、読んでいただければうれしいです。顔01

序に、以前書いていたアメブロです 
http://ameblo.jp/ohno1103

もう1つ序に、mixiでは、富士君と名乗っております。




2011年01月15日 Posted by広告看板屋の富士君 at 03:26 │Comments(0)

 
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